M&SSの再起動ー22(カンさん夫妻三沢で短期入門)
海と山に恵まれた三沢の街
まさるのアドバイスどうりの乗り換えで、青い森鉄道で三沢に着いた。
駅前交番で「我妻道場」を聞いてみると「タグスでずっぷん(十分)でいぐよ」と若いお巡りさんが、にこにこと笑顔で教ええ呉れた。
それなら、直ぐタクシー乗り場に行けば良かったなと思いながら、駅前に出てみた。
やけにアメリカナイズされた英語の看板が多く、明るい雰囲気だ。
何か重い音がするなと感じた瞬間「バリバリッと、のどかな田舎の駅前が攻撃されたかと思う爆音を響かせて、戦闘爆撃が機種を上げてぐんぐん上昇している。
ここは、静かな田舎の街ではなく基地の街でもあるようだ、認識不足。
ユウリンも両耳を抑えて、目をつむっている。
マカオでは体験しない、音の洗礼だ。
中年の運転手に聞いてみると「あの戦闘爆撃機は最近ここに来たようで、マナーが悪いですよね」と寂しい顔をした。
やはり米軍も市と協定を結んでおり、市街地では低空飛行は禁止で、上昇する場合は海上や山岳部に移動して訓練するのが守られてきたようだ。
本国の部隊から移駐して来て、基地協定を習得していなパイロットの様だ。
片側一車線の県道と交差する市道が、片側2車線で余裕ある作りで、農村であるが道路は整備されている。
景色はのどかな田舎だが基地のお陰で道路が整備され、結構な距離だが本当に10分くらいで到着。
集落の端に平屋建てだががっしりした木造の建物が、木立に囲われて雰囲気を出して居る。
運転手さんも、エンジンを止めて一緒に降りて、道場主とお知り合いで、お喋りをしてゆく様だ。
道場と運転手さんもお馴染み
「師匠、生徒さんを案内してきたよ」と何も話して居ないのにカン夫妻の用事を承知して居た運転手さんだ。
「なんだケイちゃん、いつからガイドさんに成ったんだい」とご主人らしい人が顔を出して笑っている。
運転手さんの機転で和やかな雰囲気の中で我妻道場の短期入門が許された。
特例の3週間の集中稽古で、滞在を認めてくれた。
カン夫妻は寮生になる
「躰道」の道場が少ないためカンさんたちのように、フアンが多くなり、道場脇に長屋風の10部屋の寮を用意してあった。
カンさんたちは、ホテルか旅館を想定していたが素泊まりだが、共同の炊事場もあり自炊ができる仕組みだ。
軒を並べて田舎料理の食堂もあって、こちらは出前もしてくれるので重宝する。何しろ道場の奥さんと娘さんが、塾生のサービスに始めたようだが一般客が酒場代わりにお酒を飲みに来るので、結構繁盛していた。
道場主の我妻さんは接客が苦手で、不愛想だという評判が常識のように思われていたが、実際は60台の温厚な紳士で、その道の技を極めた人は、道場と接客時の所作は人が変わって当然だ。
「お~マカオからお出ででしたか?ご苦労様です。空手と「八極拳」を嗜まれているなら「躰道」は空手から派生した武道ですから、代り映えしないですよ、まぁ本場で「八極拳」を習得した人には、物足りなさを感じるかもしれませんよ」と牽制する。
「実は自分たちの都合で、マカオを引き払って日本に移住しようと計画しているんですよ、私は長野出身で関東か地方で武道の道場を開きたい願望があります」本音を伝える
「それは又楽しみな計画ですね、やはり八極拳の激しさを体験した人は、日本の武道は緩く思うでしょうね?」
「柔道や合気道・空手などは日本古来の武道を継承して、私も空手から始まっていますので、線引きして居る分けではありません」とカンさんは
「わかります、私も柔道と空手も一応段級の範囲でマスターしているのですが、個人的に武道を追及していると対個人の「必殺技」が武道の究極じゃないかと考え「躰道」を教わりました」
「わかります、大学時代中国をぶらぶら縦断して居て、数多くの武道に接し殆どが意味は違いますが「徒手空拳」で身体能力を極め、瞬発力が決め手でした」
「そうですね、いい例えですね手に何も持たずに立ち向かうことは、事業にも武道にも通じるんですね」と我妻さんが笑顔で賛同してくれた。
ユウリンの八極拳はバレーのように
一週間ほどして我妻先生が、ユウリンの八極拳を見ながら
「奥さんが演じるとカンフーも合気道のように優雅な所作になりますね~(^^♪」と笑う。
カンさんもユウリンも、八極拳の流れをナゾリながら「躰道」の攻撃・防御の流れを教わる。我妻先生は躰道に拘らず、教習生の会得した武道の技を観察しながら的確に見抜き指導方針を造る。
「躰道」の研修はほぼ終わり 、我妻さんに「八極拳」の所作をスローモーで、やっていた。
「躰道」は古来武術から、接近戦用に改良されたのだが「八極拳」は必殺技の連続だねぇー」とご老体に鞭うってカンさんの動きをなぞっていた。
ユウリンは我妻さんの脇で、要所を丁寧に動き三人の動作が一致したとき次の技に移っていた。
3週間を目前に夕飯が終わって道場の掃除などの手伝いをしていると、LINEの着信があった。
(明日の早朝便で、羽田経由腕仙台に行きたいが、都合は如何ですか?)とあった。
我妻さんに事情を話し「今晩で教習を終わってもいいですか?」聞く。
「素人じゃないから呑み込みが早く、お二人が同じ方向に進まれるので早いですね」と卒業をさしてくれた。
「この3週間は、私にとっても有意義な日々で楽しかったですよ」と短期コースの終了証を授与され、帰り支度が始まった。
まずまさるに電話で明日の夕方まに仙台空港到着することを伝え、迎えを頼む。
折り返し「明日は香織さんが居るのでまさると二人で空港に行けるので修仁くんとLINEで情報交換を密にするから任せなさい」まさるから心強いコメントが来た。
カンさんたちが早い場合は古川の駅ビルのカフェで待機し、まさるたちが立ち寄ることにし「三沢の出発は慌てなくて良いよ」とトークする。
「その為には情報交換を密にしましょう」と激励される。