武道場のきずな(マカオから来客)
シンディーの来日予定
ユウリンが自宅に戻ると、榊原さんが道場から出てきて
「マカオからお客が来るかもしれないよ」
「誰ですか、まさかリー・シンディーさんじゃないでしょうね?」と聞くと
「そのまさかだよ、入出管の所長と香港の叔父さんも一緒なんだってさ」
「最初、LINEで(来月の10日頃東京に行くの!)って来たんだが冗談だと思って、折り返し(どうぞ)とトークすると(いろいろ連れが居るんだけど、お邪魔しても良いですか?)と言うので詳しく聞いてみたよ」
「それは賑やかなツアーですね」とユウリンは顔色も変えず、笑っている。
入出管の所長が上海で引退のセレモニーが有り、終わると時間が有るので(東京に行きたい)となったらしい。当然夫人同伴だが、先日シンディーがオフイスに顔を出したら話題になり、シンディーも一緒に行こうと誘われた様だ。
シンディーが家でそのことを話すと、おかぁさんが
「私も東京なら行って見たいね」とシンディーの母も賛意を示し、母の弟夫婦も気心が知れた人たちなら定年退職で暇になった、ハウ・グー叔父さん(在香港総領事事務官)も参加したいと話が進み、盛り上がっている様だ。
「深圳の元親分は来ないでしょうね」とユウリンが真顔になる。
「其れはないだろう、引退してもお役人とは無理な話だよ、スケジュールなども詰めて、まさる先生にも打診し、ご協力を得なきゃならないだろうね」
「ここじゃ無理だから、鳴子の温泉宿に手配することになりそうですね」
「その方が、手際よく行きそうだが、シンディーの意見も聞いてからでもいいだろう」と言って、道場に戻る.
今日は土曜日で、門下生が10名ほど稽古に来ている。ほとんどが経験者で榊原さんは気付いた部分だけ、指摘し自分も動いて遣って見せマンツーマンで再現し納得するように仕向ける。
若い人が体験見物に来ても、実体験しても2回目は躊躇するらしく、10代は居ない。
お巡りさんも2名ほどいるが、サラリーマンも柔道などの段持ちの人が多く、日本武道より激しい動きには、目的と言うか職務がらみの鍛錬かも知れない。
まさるが「かんばら道場」が、若い門下生が少ないので「めおと道場」の若い連中を連れ(カンフー)を体験乳もさせた3名が登録して居るが、本筋の柔道が忙しく週2~3回しか通っていない様だ。
ユウリンの太極拳は、平日の午前中に近隣のご婦人方が多く、土日や休日の午前中はOLなど若い人が多い。中年やリタイアした人もカンフーの道場の隣のフローリングで、体の柔軟性と美容の効用を兼ね、ゆったりとしたBGMを聞きながら稽古している。
「今晩まさるさんに報告し、協力をお願いするよ、ここだけでなく東京に興味があるようだ、杉原修二さんたちのも会うだろうから、本庁の神田警視や二階堂さんにも会いたいだろうし、日本側の対応なんかも話してみるよ」
「そうね、シンディーも変わったろうから、早く会いたいわね」とユウリンはシンディーとの再会が楽しみらしい。
榊原家の兄妹は「めおと道場」お気に入りで、柔道場のサイド観覧席に行くと
「恵姫さんも一緒にやりましょう」と地元の女子中学生が声を掛ける。
「修仁くんは良いよ」と大学生が断る。修仁くんは審査を受けていないが、父親に教わり受け身も十分身に付き、「乱どり」をしても2~3段の連中も手強いと言う。
最近「めおと道場」は「空手」の時間が取れなくて、榊原さんの道場に時間をとってもらい兄弟道場として、分業をしている。
元々、榊原さんは自由が丘の大学で「空手」が禍して、休学した経緯が有るので「空手」の指導も充分熟せる。上海の街道場で、柔道の師範代を務めたことも有るので、子供たちの指導は心得ている。
「今日の夕食後に時間が有りますか?」とまさるにLINEを入れる。
「今日は早めに終わったので、お茶しています、どうぞ」と返信。何か問題が起きたかなと考えた。
夜は、榊原さんが一人で訪ねてきて(シンディーの来日の件)を報告。
「前に大陸沿岸追跡の時、カン(榊原)さんの案内でマカオの事務所に表敬しましたね、あの時のリューさんは次長でしたが、所長さんに成って勇退ですか、シンディーちゃんは独身かな?懐かしい人たちに会えそうですね」
「シンディーの母親と、叔父さんも一緒で大所帯の移動ですよ」よ榊原も珍しく気になるようだ。
「僕たちは兄弟道場じゃないですか、お互いに助け合居って来たのですから、いつもと同じですよ」と、まさるより年上の榊原さんに、ホローすることを約す。
「来週の上京時に、神田くんに会って本庁の関係者と、海外情報局長の杉原さんにも伝えて貰いますよ」
「向こうでお世話になったのですから、今度はこちらでプライベートの付き合いをでお返ししなくちゃ」
「聞いてみて、宿泊する場合我が家には4部屋は来客用に有るのですが、若し増えて居たらこちらに分宿をお願いできますか?」
「それは20名くらいまでは、昔からの部屋が使えますから大丈夫ですね、ただ本庁のこの間の二階堂くんやマイケルが、付いて来そうですからねぇ~」と笑う。
「どこかで歓迎会の名目で、一席も設けようと考えて居るんですが、鳴子の宴会場を予約しても良いように考えて居るんです」
「それも良い考えですが、予算的には大きくなりますよ」とまさるが心配する。
「それは大丈夫です、マカオの夜間運航で結構稼ぎましたので、恩返しは出来そうです」と、ほとんど慌てない。
「お子さんたちの教育にも、残して置いた方が好いでしょう」とまさるが心配する。
「その辺は、会社の譲渡分がユウリン名義で残って居ますから、仙台に転校したので掛りが三分の一くらいになりましたし、充分見通しが利きます」
「済みません、余計な詮索でしてね、何しろ役人は貧乏性ですから~」まさるが笑う。
「いや~まさるんには親戚兄弟以上に気遣いをして頂いています、今後も宜しくお願いします」と深く礼をする榊原さんだ。
「馴れ初めは、大陸伝いに海南島近くまでご一緒しましたからね、あの頃は新米捜査員で言葉は何とかなりましたが、地元の人間は言葉じゃなくて度胸と言うか腹の探り合い見たいな部分が、榊原さんに教わりましたよ。あの経験から外国でも体を張るくらいの度胸がないと、務まらないと分かり良い経験をしました」
「そうでしたね、東南アジアは長かったですよね、キャリアなのに其れっぽく無くシッカリ話を聞いてくれるので、地元のその道の連中も信頼していましたね」
「カン(榊原)さんも、最初は現地の人と間違いましたよ、河南の方言みたいなやりとりも充分通じて居ましたよ」
「あれねっ、最初上海の語学教室で一週間位学ぶ積りでしたが、居心地が良くて柔道場に寄宿しながら、上海語の学習と柔道の師範代を半年くらい遣ったので、身に着きました」
「やはり地元の人と、肌を触れ合う稽古が有ったのですね~」
「ご両親が日本がお好きで、お嬢さんが日本語を教えてくれたんです、両親が学生時代に柔道習ったそうですが、柔道場の名誉館長を遣って居ました、館長が交通事故で怪我をし師範が居ないので時間が有るなら、職住付きでお願いしたいと言われ休学中の自由な身なので引き受けました」
そんな二人の会話に絡むように、まするのスマホに着信!マイケルのスマホだ。