M&SSの再起動ー21(カンさんマカオから離脱)
カン一家の移住問題
「カンさんはご希望の街とか地方とか?お決めですか?」と祖父が質問する。
「未だ漠然としていますが、子供たちが留学なので意見を聞きながらきめたいと思います。飛行機の移動は似たようなものですから、ただ卒業して仕事をする場合とか難しいですね」
「今はシンガポールでしたか?日本に移住する場合、大都市にはアメリカンスクールがあるので、自宅通学も可能ですね」とまさるが市街地に道場と住居を考えて居るようだ
「まさるさんの道場を拝見して、この環境がベストですね森に囲まれ、温泉が引かれ駅からも程よい距離らしいので、惚れ惚れしましたよ」と世辞か本音か??~
「それじゃぁこの隣に作れば簡単だよ、でも長野のご実家も土木の会社でしょう、そちらのほうが効率良さそうですがな」と祖父が呟く。
「その辺も親と兄貴に相談したのですが、長野は地理的にあまり好きに成れないのですよ、関東・東北・名古屋くらいまでなら、土木工事は任せなさいと、言うんですが~」
「仙台の兄貴も畑を半分ぐらいにしたいが、住宅がギッシリ建つのも嫌だしと、嘆いていたが、あそこなら仙台の中心地から車で30分圏内だから、結構話があるようだよ」
「あの近辺は学園都市だし、300坪の土地で野菜を作って楽しんでいたらデベロッパーから狙われますよね」とまさるも欲しそうな顔だ。
「お子さんたちと話し合って、決めたほうが良いでしょうね、この続きの林は家の奥さんれんの実家で、欲しけりゃ広げて良いよと言うんですが、格安で話が付くでしょう、うちは大工ですが、ご実家でやられる場合はご協力しますから遠慮せず相談して下さい」
「わかりました「躰道」の先生が青森の近くにお住まいなので、一週間くらい稽古して見たいと思います、そのころ子供たちも来るでしょうから又こちらに寄らしていただいて良いですか?」とカンさんがみんなの顔を見渡す。
「この後も、ここをベースにして動いて下さい、お子さんたちが仙台空港なら私たちが迎えに出ますから、ご夫妻は「躰道」を納得行くまで経験して来てください」とまさるが引き受けた。
「そうだね、仙台の兄の土地の件も聞いて置きますよ、私が仲介すれば無茶な値段ではないでしょうから」と祖父も手伝う気構えだ。
翌朝カン夫妻を古川駅に送る。
「三沢は、新青森じゃ行き過ぎになるから、八戸で新幹線から「青い森鉄道」に乗り換えて三沢まで隣の町ですが山越えですから、チョット距離がありますね」とまさるがローカルの観光地図を見ながらアドバイス。
「済みません、若し子供たちがくる場合青森より仙台空港に降りると思いますので、迎えてくださいますか?、あとで二人の最近の写真を取得して、まさるさんの携帯に転送します、厚かましいことだらけで申し訳ありません」とカンさんと奥さんが深々と頭を下げる。
カンさんは元々日本人だから、国内の地理はイメージしているから、迷子になっても直ぐ立ち直れるから安心だ、動き出したハヤブサに手を振る。
東京の道場ではマイケルも興味深々
大学の道場で教習生が集合する前に、まさるが受け身の一人稽古していると
「師匠は早いですね、何時に着いたんですか?」とマイケルが飛び込んできた。
「別に早くないよ、昨日横浜に用事があって実家に泊まったからね」と額の汗を拭う。
「忙しかったでしょう、カンさんご夫妻が逗留為さっていたんでしょう?」
「うちの奥さんが付き合えないので、松島や仙台の案内は僕の仕事だったが、気心が知れているので多く語らず顔を見ただけで、胸の内がわかるから良いねぇ」とまさるがしんみり話す。
「それよりカンさんがマカオを離れたいらしいんだ、日本に来たい様で、物色中だよ」「えっつ 同じお仕事は日本では難しいでしょうね?」とマイケルも同調
「あの仕事はマカオと香港だから成立するので、日本じゃマイケルたち立ちはだかって、阻止するだろうね」
「あの仕事は身体的に万能じゃないと商売にならないし、知的センスも求められますね」
「語学だけでなく社会の流れや、国際的の事象に柔軟さが必要だろうね」」
「僕じゃできないね、空手と柔道だけじゃ対応できないし」
「マイケルもできそうだよ、その容姿と語学は十文だろう後はライセンスかな?」
「なんか受験があるんですか?」
「どんな仕事になるかで別れるが、カンさんのように海上輸送なら一級小型船舶操縦免許は持って置くべきだし、小型飛行機なら「自家用レシプロ」の免許から始まるな」
「師匠はヤケにに詳しいですね、チャレンジしたこと有るのですか?」
「役所に入って研修が終わって配属になったころ、海外の領事館の事案で容疑者が民間のクルーザーを強奪し逃亡されたことがあって渡航したが、地元のコーストガードに捕縛されていて身柄を預かったが、その時海と空の操縦免許を考えたことがあったんだ」
マイケルも興味があるらしく「そも頃はカンさんと面識はなかったんですか?」
「時系列的には、カンさんは縫製会社を叔父さんに譲渡して、裏社会の人脈を頼りに社長を暗殺した犯人を追跡し始めた頃だね」
「そうかカンさんは深圳で、会社社長の仇討ちで動いた様でしたね、会社を辞めてフリーで船舶の免許を取って新たな仕事をしながら、香港・マカオに拠点を移すなんて自分には出来ない荒業ですね」
ユウリンの心労
「ユウリンさんのおかぁさんが回復できずに亡くなり、看病したユウリンさんがおかぁさんの無念さが心に残り気弱になるのを見兼ねた様だよ」
「二人で長い時間話し合い、子供たちは小さいが外国に留学させ、犯人を絶対許さないことを確認して、自分自身がフリーになり行動したんだな」
ユウリンさんは両親を失った深圳が疎ましくなり、離れる決心し八極拳の呉先生に相談した。呉先生もご両親が襲われたことが、自分の武道の関係者かも知れないこと懸念し「迷ったら必ずここにきて汗を流しながら心を「無」にしなさい」と勧め、夫婦二人で何時間も稽古に徹した。
そのあとで、一般の塾生が帰った後でゆっくり相談にのってくれて、中国を離れて生活を立て直すことを薄め【あなたは前の榊原に戻って出直す道も有るねぇ】と微笑んだ。
その時、カンさんがユウリンと確認した
【この国を離れる前に決着付けることが有ります】と宣言するように言い出した。
呉先生は、にんまり笑顔になって【そう来ると思っていましたよ】と軽くいなす。
呉先生の貴重なアドバイス
先生も武道で交流が広く、裏社会にも人脈があり情報が集まるらしい。
【その辺から海上都市を示唆し、榊原に戻る前に前歴を清算しそこで蓄えを造り、身を交わしなさい】 とアドバイスをしてくれた。
呉先生は、香港にも教室があり頻繁に交流しその後のカンさん一家の移住にも関わり、今でも親族的な付き合いをしている様だ。
時間になり大学の道場も、自主的に受け身や柔軟体操で賑やかになってきた。