まさる先生のブログ

新たな武道の境地を目指します

武道場のきずなー36(遠隔操作ー10)

幼馴染の友人だった

鈴由の自己紹介で、親の賢樹さんも佐藤さんも、杉原さんの連れも驚き唖然とする。
賢樹さんこと浩治さんも、娘が冷静に対応してくれたので、ホットした顔で「娘の鈴由だ、女房は15年前に病死し、いまは二人暮らしだ」とあっさり紹介する。
そうだったのだ、杉原修二局長は三枝浩治と小学校から中学まで一緒で、高校は違ったが、家が近いので付き合いは続いた。杉原さんは東京の国立で、理工好きの三枝さんは同じ国立の工科を選び、宇宙工学の研究室の終了時に区切りとして、三浦佳代さんとヨーロッパ旅行で拉致された。その詳細は誰も知らず行方不明の情報で、探しているのか居ないのか情報が無かった。杉原もショックで、入庁した役所の仕事に集中できない日々が続いた。当時は拉致そのことが、大きく報道されず、うやむやな報道で終始した。次第に忘れられ、親族だけがイライラして来た訳だ。その30年近い空白の間に、鈴由が生まれ育ち佳代さんは逝ってしまった。

「話したい事は山ほどあるが、ランチをしてからゆっくりして決めましょうか」と脇に座った女性の顔を見ながら「この方は千葉美千代さんと言う、うちのチームの主幹です、この後お二人のお世話をして頂きます」と紹介
「千葉です、私も分からない事が多いですが、あっちこっちに知り合いが多いですから、いい方法を見てけてお力に成ります、どうぞよろしくお願いします」と丁寧に頭を下げる。父娘二人は同時に立ち「よろしくお願いします」と礼をする。「そうだ千葉さん最初は何処だっけ?」「はいっ察庁でした」と短く答える。「そうか佐々木さんとこだったね、警視さんだった、弥さん大丈夫だこの人は柔道4段空手が5段だったかな、半端な奴は近寄れないから」と笑う。

武闘家鈴由

「局長、私はボディーガードでは在りませんが、お二人の僕ですから怪しいのは近づけないようにお手伝いします」とにっこりする。佐藤さんが「鈴由さんも半端な武道家じゃないそうです」皆は「えっつ」とした顔で鈴由を見る。
「佐藤さん困りますわ、私は子供の習い事ですから武道家と言えません」と恥ずかしに下を向く、本当に柔和な女性に見える。
「佐藤くん何処から仕入れるたネタだよ」と杉原局長が興味を示す。「さっき迄一緒だった国家総合情報部隊の拓少尉が、大連の民間会社の社長から聞いた様です」「あぁその会社がロケットの外装を造っていたのだな、それで」と促す杉原さんも幅広い情報網だ。「鈴由さんが、お父さんのお仕事の一部を担って製造工程の進捗を見に行って、自分たちの依頼分が手つかずだったので、社長に掛け合い社員と武道交流会を申し入れ、カンフーを習って居る男子社員と5対1で対戦一瞬で倒したようです」と得意げに話す。杉原さんが、鈴由を見ながら「この話は本当ですか?」と声が小さくなる。
父の顔を見ると、知って居るようなので「私は父から柔道と空手を学んで居ます、八極拳は深圳の大学に短期留学で滞在し、八極拳の道場に泊まり込んで学びました、卒業後は父の空手と八極拳の応用できる部分を取り入れ、自己流で遣ってきました、ターリェンの話は実話で5人が周りを囲む形でしたが、体を静め彼らの脛を回転しながら蹴り上げました、手の突きは使わずに済みました」と説明。杉原さんが千葉さんの顔を見る。

千葉さんも困った顔で「カンフーは、「初手必勝」と言うか「一発必中」と言うか、空手と同じ位の俊敏で鋭い武道です。鈴由さんが話した回転技は、相手が動く前に体を低くするので、目標を見失って脛にケリが入るので、柔道でも敵わない時が有ります、鈴由さんはモデルさんの様に容姿端麗ですから、見とれている内に下半身不随になるでしょうね」と笑って鈴由の手を握る。

コンパクトな事情聴取

ランチはホテルの広間を借りて、一般客と接しない配慮、局長を含めて好きなモノをオーダーした。弥さん父娘は日本そばを注文したが、佐藤さんが気を利かして小盛り天丼を付けて呉れた。鈴由はいずれも初めての食べ物で、浩治さんの食べ方を見習って居たが、天丼の方が食べ易かったようだ。浩治さんは甲信地方の出身で、ソバを食べたかったようだ。少し休憩して、抑留時の事情聴取のように、体験や虐待事項などを話すことになった。杉原さんは、自分と佐藤さんの他に千葉さんと記録担当の職員も入れた。もう一人杉原さんの同期で察庁の佐々木次長が参加、千葉さんが驚いて堅くなったが、相変わらず堅苦しい事は省き、同じ年の三枝浩治さんと握手して「年が同じとお聞きましたが、私たちより若いですね」と冗談を言いながら始まった。本来なら、省庁を超えて情報開示すべき事案だが、情報の拡散防止で信頼できる最小人数に絞った。

「私たちは、海外の同胞の方々も守備範囲ですが、国外の情勢は必ずしも安穏な国だけじゃないので、大変な辛苦な人生を味合わせました」と次長が頭を下げる。杉原さんが「最初に、この話し合いは、今後は出来るだけ開かないようにしたいので、記録に残す部分は音声と動画と筆記で残したいと思いますが、ご異存は有りますか?」とみんなの顔を確認する、三枝ん父子も、次長も、頷いている。

弥賢樹さんの陳述

「それでは最初に、弥・賢樹さんこと三枝浩治さんから、全体像とトピックをお話し頂き、後でご質問形式でまとめたいと思ます。佐々木次長は全体像をお聞きいただき、後日に資料をお届けします」と話し、弥さんの顔を見る。
弥さんは下書きしたメモ帳を開きながら「いやー私たちは、人生を頓挫しましたが最最初は焦り慄きました。彼の国は、外国にも不穏分子を配置し、意に沿わないのは消し去り、その国の司直にも手を延ばし賄賂を巻き手懐けています。国内の同族も、外国人も同じ扱いでした。拉致直後、マインドコントロールで従属させようしました。相手に、逆えば破滅しかなく、先がないことを悟り、柔軟な振りを装いました。無念なのは、妻の三浦佳代さんが体を壊し、国内なら治療できる病が、薬品も医療技術もお粗末で、先立たれたのが悔しく、鈴由には申し訳ないです」と鈴由に頭を下げる。

「それ以来、娘と一緒に脱国の計画を練り、時間を掛けました。指示や仕事は従順な振りで、海外からミサイルやロケットの購入も任され、外国で時間と資金が自由な立場になりました。もちろん監視役が付きまといますが、彼らも裕福な生活ではないので、自分の自由になる公金から多めの小遣いを渡し、佐藤さんたちとアクセスすることが出来るようになりました」と切って、次長の顔を見る「何かヤバいことが有りますか?弥さんは、国の法規では処罰できないお方ですから、私たちの立場などお構いなく、思う存分語って下さい」と笑う。
「分かりました、それでは超法規的な話に成りますが、外国でも黒い商談は、書類より現金の力が強く、出かける時は必ずバックに入りきらない$紙幣を持参します。(ここは余談ですが、この紙幣は、彼の国のお家芸で作成したのかと気掛かりでしたが、佐藤さんたちにお願いして、ヨーロッパの専門会社で鑑定して、本物の証明を頂きました)

無造作に積んだドル紙幣

近藤さんや佐藤さんにはには無茶なお願いを、快く引き受けていただき感謝して居ます。マネーロンダリング的な話で「ケイマン諸島」に口座の設定、振り込み・電子機器の購入などお骨折り頂いております。また衛星ブロードバンドの契約で、私の居住地をシンガポールのパスポートなど作成して頂いて、二重登録等もありその端末を頂き、かなりやり易くなりました。