まさる先生のブログ

新たな武道の境地を目指します

武道場のきずなー37(遠隔操作-11終了)

賢樹さんの陳述が続く

弥賢樹こと三枝浩治さんの陳述が続く「実は、ロケットやミサイルの改造・製造に関わるようになり、外国に出張する時は、必ず多額の現金を持たされました。初期の頃、天津の精密機械工場で商談した時、現地の警察では無く軍の情報部が警備に来て、現場の士官から上官の窮地を聞き、助けを乞われた。自分が出張時に多額の現金を持つ情報が伝わって居たようだが、部隊の汚職を本部に察知されないよう内に穴埋めすれば、周りに処罰が及ばないことが分かった。自分の判断でこの泡銭で他人の窮地を救える、拉致以降初めて頼られる立場になった。横領者は兎も角、上官の左遷や部隊の解体が解消されるなら一歩踏み出すか!彼(シン)の熱意に絆された。彼の国では拉致被害者だが、部隊の救世主となり彼の国から付いて来た監視役は離され、三枝さんだけが部隊本部で$紙幣を融通した。横領者はその場で除名処分で、横領事件はもみ消され以後付き合いが続いている。彼を信頼したのは、自分では打ち明けないが日系の生まれらしく、気性が温和で部下たちへ誠実さが伝わった。今は佐官級だが、天津のトラブルで多額の資金を用立て部隊の功労者として、2階級特進が有った。
連絡は常に部下の密偵を使い、今回の脱国は丹東から瀋陽や西北京の乗り換えをクリア、最終の深圳迄士官2人に警護に付けた。私たちはショルダーを肩に掛け、前後に銃を携行した士官が付き、スーツケースは軍事用の赤いラベルを貼って、一個づつ士官の私物の様に運搬して、検査は一回も受けません。

私の主な仕事は、最初は環境の悪い軍事工場で機械組み立てや研磨など、一日15-6時間労動して3カ月ぐらいで従事し、次が電子機器の組立に回り外国の軍事兵器の図面の翻訳などを遣るようになりました。ここまでは試されているな感じましたが、ここからが本来の使命だち思います。日本で学んで実地に携わった専門分野で、ミサイルやロケットの組立のチェックでした。外国で製造されたミサイルや・ロケットの本体を自分たちの目的に改造変更して、試射しながら滞空時間や着弾誤差など数値採集に時間が掛りました。スキルのあるエンジニアが少なく、信頼できる人材はゼロに近かった。ただ大学の研究室時代第三国の研修生として出入りしていた人間に似たやつが、彼の国の技術員として顔を見せたことが有りました。私は知らん顔をして居ましたが、大学時代からマークされたのかと、背筋が寒くなったことが有りました。この国には半島や大陸の血筋の人間が多くいる訳で、数えきれない「エス」を育成しているのでしょう。話は逸れましたが、改造で火薬など爆発物の増量など、危険な部分もありました。最近は弾道ミサイルの弾頭部の改造です。5-10.000㎞宇宙空間まで打ち上げるロフテッド軌道も何度か試しました。弾頭を一個から複数にして攻撃目標を複数する構造です。ロケットのエンジン部分は変えずに大気圏に突入後に小型弾頭が飛び散る感じです。中東から購入したロケットをの胴体が、地上テストで破裂し大国のターリェンに緊急発注しました」と息を付いた。

傍聴人も疲れる

杉原さんが、一言いう。「凄いとしか言えないな、俺より何十倍も強いなぁ」と感心している。
「強いわけでは無く、その場その場で躱しながら、死んでたまるか!見たいな意地かなぁ」と呟く。
「うーん、この先にもっと大きなアクシデントがありそうだが、それは杉原のレポートで拝見するとにして、住むところが決まったら教えてください、別の角度からお聞したいことがいっぱい有りそうです、まずここから解放されてゆっくり休んでください。自分も宮仕えなので、ここで失礼します」と杉原局長に頷き、弥さんと鈴由に会釈して立ち上がる。全員が席を立ち、礼をして佐々木次長を送る。

「此処で、お茶にしよう」と聞いている局長が疲れたようだ。千葉さんが会釈して出て行く。「いやぁ参ったな、三枝浩治は我々とは違う次元でこの世界を見ていた訳だ、鈴由さんは幼少から青年期の現在まで、国内の子供とは違う教育や遊びだったのでしょうが、素直なお嬢様でホッとしました」鈴由さんをみる。
鈴由が浩治さんの顔を見て「私は、母が亡くなったあとで父から聞かされ、拉致家族の事実を知りました。小さい時から、他人が家に居て世話してくれるのが、当たり前だと思って居ましたが、彼ら彼女たちも体制のロボットで、親切にしてくれるのは自分の意思では無かったことに納得できました」「外でクラスの子を見つけ話し掛けようとすると、厳しい顔で手を引きながら逃げるように家に帰され、家でも少しの事でも当たりが強くなったことが有りました」「母に云いつけると(友だちとは学校だけのお付き合いにしなさい)と優しく話し(大きく成ったら分かりますが、家でご本や運動をしなさい)と諭し、本棚の本などを読んで貰いました」

「私たちは仕事で家にいる時間は少なかったのですが、監視の連中が鈴由の相手をして、柔道や空手の稽古に付き合ってくれたようです、それにしても佳代さんは偉大です、最初の頃は私と同じように薄暗い工場で、油だらけの作業をした様です、そのころから(何とかしてこの地獄から脱出しなきゃ)と必死に考えていました、そのうちに病気になって・・・」としんみり捕捉
「小学校時代から父から柔道と空手を教わって居ましたが、居ないときは監視役の若い人たちをお稽古に引っ張り出しました。外へ出して貰えないので、他の時間は読書でした。外国の本だけなので字が読めない頃は写真の多い本を眺めていました、母が居る時は日本語と英語とフランス語を習いました、母は6年生の時亡くなりましたが、女の子としての行儀や、言葉使い・立ったり座ったりの動作も、丁寧に教わりました。何か死期を予知したのか、家ではいつも傍にいて優しくしてくれました」と濡れた瞼を拭く。千葉さんもウエーターと一緒にワゴンを押して入ったが近寄らず、ハンカチで涙を拭いている。「ごめんなさい、湿った話になって申し訳ありません」と鈴由が快活な声で締める。
「鈴由さん、ありがとうデザートが届いたようだから、一休みしましょう」と杉原さんも吹っ切るように、お茶の宣言だ。三枝さんは、じっと上を見て堪えている。

「ここからは、国内外でも公表できない事案に成りますので、記録も残さない方が良いかもしれません」と切る。
「そうか、ここからが本番なんだな、分った佐藤くん・千葉さん聞くだけにしましょうか」と弥さんに合図する。

「昨夜深圳を離れる時、遠隔操作で弾道ロケットを発射しました。特別な事ではありませんが、本来は可なりのスタッフが個々の機器を操作して、モニターを見ながら制御しますが、発射制御の機器は1週間前からスタンバイさせ、カウントダウンして居ました、彼の国の領主は、以前から14.000キロ飛翔能力のICBM を欲しかったようです。弾頭に小型の核爆弾をセットして、常時発射態勢が望みでした。4-5000キロの飛翔ロケットは、命中の制度が上がり、2年くらい前から鉱山の跡地に地下発射場を造り、地上部分は昔の廃屋を壊さず反対側の住宅地(人が住まない)から入るトンネルで、作業を進めました。衛星カメラから察知されないように、古い施設に何か所か道路を整備、出入りは遠まわりでしたが、トラックも間隔を取っていました。工事残土は鉱山の使わない坑道に詰め込むので、地上からは察知できない仕組みにしました。作業員も、隔離状態で従事させ、既存の事業とは完全に分離した管理でした。私もかなりの時間従事し、進捗を見てきました。

「うーん衛星のチェックも躱すとは、中々の策士だな」と局長が唸る。
「でも核爆弾の小型化は完成していないのだろう?」「はい、そこは通常の爆発物で4個の弾頭に詰め込んでいました。領主は、打つ気はありませんが、時間があると私の所に都合を聞き、査察の時間を決め同行しました。ヘルメットを被り、工事用トンネルから入りロケットの本体の建家まで電動トロッコで地下移動で、弾頭部のチェックは地下2階からエレベータで乗降します。弾頭部分に手で触り、満足そうに笑みを浮かべていました」

「最近、推進燃料が液体から固形燃料式を導入しましたので、内部構造が簡単になり燃料は胴体の内側に貼り付ける形式ですから、スペースも広くなりました。それでも外国製のロケットを推力を変えずに、本体を弾頭部分だけ膨らますのは至難の業です」「地上実験と言っても、実際は地下工場で遣ったのですが、2回やって上手くクリア出来ました。固形燃料は、一発勝負なので点火したら途中で止めたり再点火が出来ないので、ストレスは有りますが弾頭部に制御用のPCを組み込むスペースは十分できました。昨日の本番は、軍事工場2か所と軍事基地2か所に、着弾場所から500M位離して動画カメラをセット、誘導装置は工場の中心と基地は格納庫に取り付けました。弾頭が単体なら簡単ですが、4か所に着弾するには大気圏に入ってから外形を破壊し、核弾頭を誘導する方法を考え、弾頭に発信機を付け、地上に受信機を作動させました。成層圏で折り返して往復5時間ほど掛かりましたが、大気圏に入って4個になった弾頭がそれぞれの受信機付近に着弾して爆発して居ました。カメラの位置は目標から1キロほど離しましたが、一か所だけカメラが壊れたらしく、映像は有りませんでしたが。3ケ所は衛星経由でパソコンに残っていました、この情報は此処迄保存してきましたが、以降公表することは有りません、彼の国では今も疑心暗鬼でシン少佐の友情も崩壊します。わたくしたちは目立つことは慎みます、またウジ虫たちに生活を壊されたくありません」と着席する(終わり)