まさる先生のブログ

新たな武道の境地を目指します

武道場のきずなー24(シンディーの移住作戦ー5)

拉致された三枝さん

ワゴン車で食事をし、七色マフネシャーン丘陵から離れ2時間近く知らない街をグルグル走り、打ち合わせをした。

「先ほど佐藤さんからパスポートとビザを頂き、娘の写真も間に合ったようで、有難うございます。今すぐにでも行動したいのですが、娘と共同で我々の人生を弄んだ、あの国の悪行にケジメを付けたいと思います、少し待って頂けますか?」

「本体は先日1500Km位の飛行は確認しましたが、複数の弾頭部分のカバーが材質が弱くエンジンテストで破損し、急遽隣の国へ製造依頼しましたが。ただ先方も自国の宇宙船関連を優先で、娘が出張して昨夜のLINEでは目途が付いた様です。一週間か10日位で再試験出来そうです。今後の連絡は娘のスマホで、LINEサイトを使ってご連絡します」と劉華に渡したようなAー6版のノートを示した。

宮春考案の乱数表

中身は、単純な乱数表で日本語で「2-2-3」とあれば(これから行動します)になります、順番に日常語や簡潔な文言を書いています。いろんな分野の字句もありますが連絡時に使いそうなの文言を書きました。不足分は五十音に数字が記号化して「あーA1」「いーA2」「うーA3」~「わーJ1」「んーJ2」で濁音、半濁音も入れてあります。不足分を補う積りです。「このノートは、世界に4冊しかありません、LINEの着信時番号から文言を引き出して解読して頂きたいのです」と頭をさげる。

     

 これは初歩的な乱数表は数字の羅列です、宮春の考案した乱数表は奇抜だった(^^♪

「そうですか、旧体な感じですがAiでも解読不能ですね、リズム感が無くて単純明快な伝言文がいとも簡単に作成できますね」と、近藤さんが感心する。
「これは、コード順に編集して居ますが、最後のページに文言の頭文字を五十音で索引出来るように文字の下にコードを記しています、書くときは裏から引いて、読むときは前のページから引いて、書き出して文章を作って解読してください

上流階級の生活

娘のキュウシュンは、東南アジアの少し寒い国で生まれ、結構裕福な家庭で育った。
国全体は貧しいが、役所勤めの両親は在宅時間が少なく、物心つく頃には外部から家政婦が毎日通って来て世話をしてくれた。
学校も車だったり、必ず誰かが付き添って世話をし、キュウシュンは何処の家も同じだろうと深く考えずに成長した。
学校の勉強は、先生の言う事があまりに単純で、退屈な学校生活だった。家には父が集めた本が多く、図書館のように棚に並んで、どの本を読んでも良かったので海外のグラビヤなんかも、文字が読めないが写真を見て楽しんだ。この団地には子供が少なく学校の友だちもいない。
読書に飽きると道場で体を動かす、常に付き添いの若い人が居るので、空手やカンフーなど稽古も楽しかった。最初の頃は、仕事以外は話もせず笑顔も無かったが、キュウシュンが大きく成りおやつなどを分けてあげると、気持ちが通じ合い道場では、相手をしてくれる様になった。

両親は休日が少なく、時間があるときは父が空手と柔道を教えてくれる。うちは裕福なのかな?と考えたが、ママが病気になって病院に泊まった時、携帯電話で話した時<宮春は賢い娘だから、偉くなるよっ>と励まされた。
ママは家にいても、丁寧な言葉で話しながらじっと顔を見つめることが多かった。ママは病気で早く死ぬことを予期していたのか、家にいるときは宮春の傍で英語や日本語も教えてくれたが、警備の人が来るとピタッツとやめて全然違うことを話す。

反抗期は親密な親娘関係

父はお稽古の時以外、あまり話さない人だったが、母が亡くなってからは宮春を連れだし、公園などに散歩しながら母との馴れ初めや旅行したことを話して呉れた。
ある時宮春が<パはこの国で生まれたのでは無いでしょ?>と、詰問調で聞くと、
<やっぱり分かるかぁ>と苦笑した。

悪いことを聞いて仕舞ったかなと、ビビったがパパは淡々と明かす。<実は母の佳代とは学生時代最後にヨーロッパ旅行に出かけ、二人同時にこの国のトップ機関に拉致されて、国の大事な仕事を遣って居るんだ>と初めて聞くことを、静に話した。

<それって犯罪なんじゃない?>と宮春は気色ばる。
父は落ち着いた顔で<それは立派な犯罪だが、この国全体が人道的にも社会的にも善悪を云々できる国じゃ無いんだ、宮春は此処で生まれたから、この国しか知らないが外国にはもっと暮らしやすい所がいっぱいあるよ>としんみり呟く。

拉致されながら埒外

父親の麗・浩治氏は、大学で宇宙工学を専攻大学院も終了し、付き合って居た女性(母親の佳代)とヨーロッパ旅行中に事故に合い、国際的にも行方不明扱いだった。実際は東南アジアの不穏な国の政府機関に拉致された。発生現場の滞在先ホテルや旅行会社は、当初は動いて居たようだが、訓練された外人部隊の様な連中は証拠も消し去り、商船か軍事用か識別できない黒い船に連れ込まれ、明り取りも無い暗い船倉に放り込まれて、一日2食のパン切れと薄いスープで日付が分からないまま運搬された。

マインドコントロール

現地では男女別々に収容し、暴力は振るわないが精神的にマインドコントロールされ、従属させる。実際に、この境遇は個人の力では打破できないことを悟った。学生時代に、古代に捕虜や囚徒を懐柔しマインドコントロールの話は学習済で、抵抗は破滅に繋がることを承知して居た。
自分が柔軟になると、国の教育施設に移動され昼夜監視のもとに、国の仕組みや環境の情報を少しだけレクチャーされた。

従順?な浩治さんは専門分野の研究施設に移動、そこには隔離収容された三浦佳代さんも、専門コースの学習をしていた。上層部は二人が一緒に行動してきたことを把握しての処置だろうと、浩治さんが積極的に接近した。
2~3日して教官と違う幹部が来て、別室で面談をしたいと要請してきた。覚悟しているので断わらず、相手の要望を詳しく聞く。

意思表示を聞いて、住まいと佳代さんと同居を許可してきた。いわゆる結婚許可みたいなもので、式も届も無く苗字を変えるように言われ「麗」の文字を示された。断る理由もなく「麗。浩治」を名乗ることになった。地位の高い所で仕事をして居ても、逃亡の素振だけで簡単の捕捉され抹消が何例か目の当たりにした。

住宅は団地風だが、人はあまり住んで居なくて麗家はかなり広い家だ。居間の隣に20畳式位のフロアに畳の代用品が敷いてあり、柔道も出来るし古武道の稽古で来た。

昔は研修場の様な施設かもせれないが、改造され住居部分は洋風にカーテンや分厚い遮蔽版の様な外窓が付いて居る。