まさる先生のブログ

新たな武道の境地を目指します

武道場のきずなー25(シンディーの移住作戦ー6)

零細国の上級志望

麗・浩治さんの勤務は、研究所兼工場も連なりオフイスも用意されている。仕事をして居る同僚?は、民族的にバラバラで公用語は英語だが、国内の人間は監視警備員で周りとも話は厳禁で逆らえば夜の間に抹消の運命だ。
浩治さんの仕事は、外国で製造設計したドローイング(図面)をベースに、自国のプランに書き換えるだけだ。図面を書くのは学生時代に設計事務所で研修して以来だ。図面デザインのテーブルは、本格的なプロ仕様だがよく見るともmade in japnのようだ。

拉致された当初は、結構きつい製造工場に配置され勤務時間が長かった。作業の実態を試して居るような雰囲気で、質問や視線を感じていた。学生時代の専攻経歴を在日の民族がチェックして居たようで、工学部でも先端の宇宙に関連する機器を設計・製造・実験まで完成した。宇宙に上げるのはアメリカのロケットにスペースを間借するため、サイズを縮小して打ち上げ・放出に間に合わせた実績があった。

電子工学で宇宙船の心臓を造るのかと思ったが、外国から購入したミサイルに自国の接続機器を同期させたり、発射後の着弾時の破壊力を想定することなどもあった。主に海上に落下するので、国内の実験場に同行した時の着弾状況から、計算ではこのくらいと想定した値を付記して提出した。最近は弾道ミサイルに複数の弾頭を載せるため、ミサイルのエンジン等には手を加えず、外形を膨らます苦肉の策を推進中だ。

外国語で書いた取り扱い説明をチョソングルに訳して付記したり、好きでもないハングルを辞書を引きながら進める。上層部は監視カメラで覗いているのか、日に1回か2回は巡回する。そこで進捗を聞いてくるが、図面の脇のチョソングルを読めば分かる筈が改めて質問してくる。こっちを試しているのかなと思いながら、一応明確に応える。

工場は部門毎にリーダーが指揮している。
拉致されたころに、工場で電子機器の配線などに従事したが、当時は同民族とアジア系だったが今も外国人だが西洋人や肌色が黒や茶色労働者が主体だ。上級幹部と一緒に製造工程を見る機会があった、当時の工場も使用して居たが、今いるオフイスより劣悪な環境になって居た。浩治さんは、工場で製造過程をチェックして歩いたが、同胞の雰囲気を感じたが、打つ手がない。

 

八極拳のイメージ

宮春の密かな決意

宮春は、父から明かされた「麗家」の歴史は偽りの世界で、実態は可なり深刻な事態だと気付いた。人生とか!社会とか!は、この程度の希薄なモノかと考えていた。
深圳で仲良くしてきた呉・劉華さんとか、未だ会って居ないリィー・シンディーさんたちの生き方は、実体のある「喜怒哀楽」と言う言葉の意味する生活を体験して居ることが想像できた。劉華に<宮春さんは「喜怒哀楽」表面に出さないわね?>と言われて、<それってどんな意味?>と聞いて仕舞った。

劉華が<私は、親たちから人間生きて行く上で、大事な感情・・・>と聞かされた。
母親と早く死別し宮春は、身の回りには何時も他人が介在しているので、孤立が当たり前と思ってきたが<心を許すのは親だけじゃなくて良いんだよ>教わった。
<そうかここの生活は、他所と違うんだ~行って見たいな日本の国>両親は強引に連れて来られたようだ。自分だけが知らずに、生きてきた。

家でも付き添いと言うか警備の連中が居ても、一旦道場に入ると凛とする。
鍛えられた警備の男性とも常に互角以上に稽古し、力も付いて来た、最近は宮春が道着に着替えると避けるように姿を消すモノも居る。

女子も時々交代者するが<宮ちゃんは強すぎるから基礎訓練にしましょ>と壁際にマットを引き出し、鉄棒や懸垂・受け身などを遣るように仕向ける。
父親は、自分の生い立ちを明かす前から、武道を徹底的に教え込み高校の頃から「打つ」も「突き」も「蹴る」も、直に教え、宮春も父親が苦し気に顔を歪めても「未だ甘い」と逆に蹴られる。

外見はしなやかな容姿の良い娘だが、腕や脚部には何時もシップを貼ったり鎮痛薬を塗っている。父親のわき腹などに、自分が蹴った痣に、鎮痛薬を塗ってあげ「変な親娘だねぇ」と笑い合って居る。
「佳代が生きて居たら、俺が叱られて居ただろうな」と、チョット寂しそうだ。宮春は父以上に寂しいが「<お父さんに負けるなよっ>とハッパを掛けているわよ」と笑う。

体制に合意して

麗家では、従順振りをアピールする時間帯を決め、隠しカメラのある部屋では国の情勢を肯定したような話をし、内緒の話は探知機でチェックした安全な部屋に移動して話す様にして居る。武道の部屋も要注意なので、日中は散歩中の監視員が距離を取って居る時話す約束だ、親娘二人だけだから徹底できる。学校でもアジアの国々の事を一通り学んだが、隣国の大国の事は詳しく学習したが、地続きで同じ民族の韓国は敵国で日本も同類だと決めつけ簡潔に記述であった。

<それならそこへ行くことが自分の人生の大事なテーマと言うか、目標にするこ>と、決めた。それ以来、高校でも大学でも勉学では常にトップだが、発表や授業以外では目立たないように控えめにした。

宮春は呉・劉華に特命事項

呉・劉華の話しは、その先は詳しく知らされていないが、A-6のノートを見る限り何かの断片記事のようだが、途切れ途切れの文言が20ページ以上連なっていた。

最後に口頭で<LINEでこの中の数字を送りますから、繋いで文章にしてね>と言葉を残し、紐で縛った少し厚みのある紙袋を出し<前に伺ったマカオのお姉さまに、お仕事の形でお願いして、これはその時に使って~>と、押し付けるっように渡されたようだ。

劉華が宮春の仲良しがお喋り中に、シンディーから電話来たことが有った。<前に深圳で仲が良かった先輩なの、今はマカオでお仕事をして居るの>とシンディーの存在を話題にした<頭が良くて美人で、武道は私より強く現地では頼れるおねぇさんなのね、お仕事はご夫婦の二人を雇い、お仕事の斡旋や・外国人の案内、その他にクルーザーを二艘もって居て、海上輸送もご自分が外洋にも運航できる小型一級船舶免許を取得、外洋に出る時はキャシー・ニールを機関士として乗船、本格的なサービスに徹し幅広い分野の事業を纏めているの。海上不定期で客の要望に沿って運航し、無人の島でBBQや沿海沿いのクルージングや台湾海域まで行ったり、南西諸島が見えるらしいの>と話すと
<好いわね、そんなおねぇさんが居ると何でも話し合えるわねぇ>と羨ましがられた。

宮春は、遠くを見るような眼をして何かを考え居た。