まさる先生のブログ

新たな武道の境地を目指します

武道場のきずなー34(遠隔操作ー8)

余計なお世話?

シンディーが少しお節介だと思いながら「余計な事ですが、先ほど高雄から來る佐藤領事官と話し、使用するのは公船では無く民間船で、うちと同じです。佐藤さんに相談して考えて下さい、船のオーナーを知って居ますが、多分受け取らないでしょうが、燃料費の名目でなら経費になるでしょう」

シンディーも泣きたい気持だが「最終目的地まで頑張ってください」と浩治さんの手を握る。鈴由は涙を浮かべて、抱きつき「生きて居たら何処かで、又会いたいは~」..と言うがちっとも悲痛さが無い穏やかな表情に戻った。
シンディーも~「きっとねっ~私もまだ発表して居ないが、日本に渡って向こうで暮らすことを進めているの、おそらく携帯電話はこのままでしょうから、ここに電話して」とスマホを見せる「それと何回か大陸横断して導いてくれた呉・劉華にも、よく話して置くから、落ち付いたら電話して、今はマークされている可能性があるので~」鈴由はうんうんと頷き、又 目が潤み涙が落ちそうだ。
浩治さんは娘がこんなに涙もろいとは思わなかったが、やっと日本女性らしさが出てきたようだ。シンディーさんを信頼し劉華という親友も出来た,子供の頃に死に別れた母親か姉妹のように頼っている様だ、自分に出来ない何かが欠けて居たようだ、目をこすながら自分の部屋に戻る。

浩治さん最後のチェック

ニール機関長(副社長)がレーダー画面を見ながら、琉球島沖を南進する船影を確認、傍のケイ伍長に伝える。「オッ来ましたね~」とにっこりする。ターリェンから大陸を横断するような護衛業務が、最終段階に近づきホットした顔になる。
浩治さんが自室に戻り、展開した機器類を最終チェックし、モニターを拡大して動画を見ると3台のモニターは画像が切れてモザイク模様になって居る。カメラの設定地を替え首都の高いビルに取りつけた1台だ、人の動きが激しく動き慌ただしい感じがする。さらに2か所のカメラに切り替える、軍の基地が爆発の後のように建物が崩壊し、小型の車両が走り回っている。最後のカメラは海に面した基地で艦船が破壊され、陸上の建物も全壊状態だ。

浩治さんは、笑顔になり各機器を手早く収納、バックに収める。このことは誰にも伝えて居ないが永久に解明できない事故だろう!!衣類も少ないのでショルダーにはパスポートとビザとドル紙幣が少し、残りは、鈴由のバックと自分のバックの底に並べるように詰めた。

リャン号接近

デッキで警笛が鳴っている。ニールが操舵しながら可なり離れているが、朝焼けの波間にライトがチラついている。先方もこっちを視認したようで、シンディーが航行中は点灯しないデッキライトを点滅させた。気付いたように向こうも、少し大きいライトを点滅させた。
後ろを見るとか船長の巡視艇は微速したようで、距離が大きく成っていく。シンディーは拓少尉に眼で合図、階段を降りる。親娘もデッキの動きに気付き、身の回りの整理中だ。浩治さんが「申し訳ないですが、お気持ちを頂きバックに入れました、まだ落ち着き先は不明ですが我々は、生存して居ないので追われることは無いのですが、佐藤さんがベストな所迄送ってくれる様です、落ち付いたらご連絡します」と礼をする。

「鈴由さん、もう泣いちゃ駄目ですよ、貴女には涙が似合いません、次に会う時はゆっくり話ができる所にしましょうね」と鈴由とハグする。

鈴由のバッグを持ち、シンディ―が先に階段を昇る。リャン号は船影を大きくして向かってくる、デッキには4~5人乗って居る。その後方に沿岸警備船が停船状態で浮かんでいる。

操舵はニール機関士に任せ、ロープを引き出しバウレール(舷側の安全手すり)に体を預け、フェンダー(衝撃止め)を舷側に出す。リャン号が減速しながら、リャン船長の助手がシンディーと同じ仕事をやってロープを持って投げる体勢だ。リャン船長もシンディーを見とめ頷きながら、停止する。若干高さが違うが舫いが固縛され、揺れるデッキから佐藤領事官が、バウレールの切れている所から、渡船して来た。

両船が接近中のイメージ(^^♪             画像引用:youtube.com/

クルーザーの接舷

「東京から来た佐藤です」と言いながら拓少尉・三枝さん・鈴由・シンディーに会釈しながら「三枝さんの知り合いで、拓といいます」と右手を出して握手する。拓さんがシンディーに「船倉に降りて良いですか?」と聞くと両手で大きな丸をした。

佐藤・拓の密談

拓少尉が「どうぞ、下でお話します」と階段を降り、空いている部屋に入る。
シン少佐か預かって来た手紙を差し出した。「これは上官のシン少佐から預かった手紙です、三枝さんの関り等を書いてあると思います」と渡す。
「有難うございます、これ迄の経過と今後の事をご本人と相談しながら進めます」佐藤さんが手紙を受け取る。

佐藤さんが「私たちは、10年くらい前から三枝さんの境遇を把握しましたが、あの方の気持ちとお家族の処遇などで、今迄伸びました。テヘランで精密機器購入で渡来した時にコンタクトがあり、東京の本庁と連携し密かにパスポートやビザも何度か書き換えました。この後お二人の体調やお気持ちを配慮しながら、最終的に本国へ戻って貰いたいのですが、お気持ち次第です」と切る。
拓さんも「極秘事項を有難うございます、実はあの国から出国直後に、瀋陽の山岳道路で交通事故があり「麗・浩治ー宮春」のお二人が焼死しました。その後佐藤さんのお手配で頂いた「弥・賢樹ー鈴由」さんになり<瀋陽から深圳迄国内旅行をして来ました>こんなストーリーでした」と笑う。
佐藤さんも外交官で語学は達者だが、拓さんの話し方は自然な日本の標準語だ。
「拓さんは日本と関係がある方ですか?日本語が上手ですね」「あっつそうですか?有難うございます、実はシン少佐のご両親のどなたかが日本生まれの方の様です、でも部隊ではこの事は秘事で絶対口にはしません、私はシン少佐の下に配属され、すっかり心酔してご本人にも教わりましたが、日本のラジオで「放送講座」を聞き、学んで居ます。今回のこの業務は部隊ではあり得ないのですが、私とケイ伍長は遠征先で発熱、隔離療養中になって居ます。経費は少佐のポケットマネーです、ただ公になって居ないので、北京や深圳では制服で職権を行使でき、手荷物検査やチケットの購入特権などは使いました。上司から定期的に<熱は下がったか?>と電話が入った時は、三枝さんの情報や皆さんの事を伝えます。結構楽しく遣ってきました」と笑う。

「そうだったのですか、三枝さんはラッキーな方ですね皆さんの様な稀な親日家に巡り合い、今までの労苦が大きく展開する方向に成りそうですね、この先のスケジュールは、一旦高雄から成田に向かい一呼吸入れて貰って、行き先が決まると思いますがご希望を聞て温暖な処を推薦します」
「良いですね、わたしも同行したいです」と立ち上がる。