まさる先生のブログ

新たな武道の境地を目指します

カン・ソンシさんは日本人だった-2(深大卒即就職)

 榊原さんは、帰国せず深圳大学に入学手続きができ、下宿先はカン社長の敷地内の会社の社員寮だった。

 会社の不良分子を始末

会社の業績が悪いので、3か所の工場を2箇所に集約し希望退職を募ったが、自宅通勤者はほとんど残ったが、地方の人たちが離れたようだ。

 

その際、会社の顧問弁護士と相談して、素行不良の社員をピックアップして賄賂やゆすり怠慢などの、証拠を集め同僚部下などから情報を集めた。

 

取締役会議に証拠の明確なものは金銭収集簿から抜粋して、弁護士と前任の取締まりも同席してもらって、当該取締役に辞表を書かせた。

 

証拠品として、警察に提出する書類・賄賂をゆすった先から証拠の出納簿のコピー、探偵会社に頼んで金融会社の取引原簿から当該取締の資産帳簿のコピー、それらの証拠を提示した。

 

技術的な分野を社長が負って、財務決算も含めて任せた役員が2~3年の間に業績の30%くらい掠めて、別会社で金融業をやりかけて居た。

 

社員の何パーセントかは、手なずけていたようで不良役員を尋問しているうちに自主的に辞職願を出して、飛び出して行ったようだ。

 

カン社長は不良社員の一掃が終わりした目の届く会社になったが、悪いのはそれなりに社業をこなしていたようで、残った人材では人手が足りないことを痛感していた。

 再起の人材確保に奔走

優秀な人材は、倒産寸前の会社には見向きもしないので、町の武道場などで質実剛健な人に、アポなしで体当たり的に勧誘して歩いていたのがカンさん親子だった。

 

兎に角自分の目で確かめ、話をして失礼だけれど品定めをする行脚を開始し、3日目だった。日本で学んで働き始めたカンさんは日本人が好きで、日本の若者を最低一人は採用する目標で開始した募集行脚である。

 

今日も市内の武道場を回り、人材探しをした。

榊原さんが立ち寄った「八極拳」の道場もカンさん知り合いで、榊原さんと入れ違いくらいの時間差で、顔を出して居たようだ。

 

八極拳は、河北省滄県巴子拳(Bǎzi quán)は地名のようだ。18世紀ごろイスラム教の回族の孟村の住人で文武両道の呉鐘(ゴ・ショウ)が継承し、孟村に広めたのが娘である呉栄(ゴ・エーイ)と伝えられている。

 

深圳の道場主も「呉」さんで、今は語らないが系図的には伝統が継承されているようだ。

 

八極拳はカンフーの原型で、中国では別名の武道が数多くあり、いずれが本流なのかはさておいて、接近戦で拳と脚が自由自在に変化して、必殺技が多く攻撃が防御也の理。

 

榊原さんは、深圳大学に学びながら「カン縫製工場」でバイトし、時間があればお嬢さんのユウリンさんと「八極拳道場」で汗を流す。

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女子大の八極拳の集団演武飛んだり跳ねたり合気道より激しい動きでした(^^♪

 

榊原さんの大学の単位は、日本で取得した成績を送ってもら残りが1年八か月で卒業扱いになった。そのあと八か月ほど経済学の企業に関する研究室に残り。企業の法律や行身について研究した。

 

晴れて卒業し、新入社員として本格的に仕事を学びながら、外国語の重要性や社員の働きに付いても改めて難しさを学ぶ。

 

カン社長は、まず体で覚えて社員が手を抜いたりごまかす場合は、口で言うのではなく実技で機械を動かしたり帳簿をつけたり、相互に信頼のできる会社を目指していた。

 

日本で勤めていた時は、社員のモラルが高く上層部の人間が口出しせず、現場の先輩・後輩の技能・知識の伝承がスムーズで、幹部が口出し不要だったが、本国では企業体力が弱く社員のレベルが違っていた。

 

榊原さんはバイトの積りで気持ちが楽だったが、仕事を教えるときのカン社長の真剣さに圧倒されユウリンさんに【お父さんは教えるときは怖いですよ】と言ったら【期待する人が見つかり嬉しいのよ】とさりげなく言う。

 

「だって僕は外国のバイトの学生だったんですよ」

「もう社員ですから、サッキーは見込まれたのよ」と笑っている。

 

「突然、国に帰ると言い出すかもしれないのに、入れ込みすぎですよ」と惚ける。

「その時は、私も日本に付いていきますからね」とユウリンさんが澄ました顔で言う。

 

「それは大丈夫ですよ、でもユウリンさんが居なくなったら、会社を継ぐ人が居なくて社長はがっかりするでしょうね」と榊原さんが無責任な事を言う。

 

「だから毎日のように、あっちこっちに連れまわして早く教え込み、引退の用意をして居るんでしょう」とユウリンさんも真剣になってきた。

 

「だって去年卒業した若造が、こんな規模の大きい会社を切り回すのは10年早いよ」と自分の本音を吐露する。

 

「大丈夫よ「八極拳」のお稽古を見ていると分かりますよ、最近はどこから責められても平気で躱して相手の急所を寸止めで離れるのは、師範級よ」

 

「ユウリンはいつも止めないで突いてくるんで、痣だらけだよ」と笑う。
「女子は力が弱いから、男子と稽古する場合は当ててもOKと、呉先生が許してくれましたよ、先生の肘うちは素晴らしいわねぇ」とユウリンさんは楽しそうだ。

 

「僕は呉先生の右ひじで、気絶しそうになったよ、先生が【サッキーごめん本気だしちゃったぁ~】と言ってた。僕は苦しくて胸を掻きむしり転げまわっているのを見ながら笑っていた」

 

「先生じゃ【サッキーは空手の段持ちで、充分耐えられるから、楽しいよ】と仰っていましたよ」

 

「空手も、稽古は寸止めだよ、接近戦は絶対「八極拳」が有利だが、この間Webで日本には「躰道」と言う接近戦の武道があるようだよ、長野にはなかったが~」

ユウリンさんが「私、高校時代【詠春拳】を稽古して初級コースをクリアしたのよ」と言うので、型を見してもらった。

 

中国の古来の武道から、女性の護身術に考案された合気道に似た、武術だった。

 社長公認の大阪で商取引

榊原さんが入社5年目に、日本の商社と取引の話で【説明に来い】見たいな上から目線の要請があり、少し慣れてきた榊原さんも同行することになった。

 

会社の技術部長兼任の取締役で、役員が少ないので何処でも出かけるが、日本は今回が初めてだ。

 

カン社長が【ユウリンも連れて行って、長野に挨拶してきなさい】と【公認の関係だよ】と伝えることを許した。