ブラウン一家の紅葉狩り-19(ブラウン夫妻那覇に帰着)
めおと商会の生い立ち
今回の様なのんびりした国内旅行は、今回が初めてで仕事をしている社員も気になる。会社の業務は、ブラウンさんより啓子さんが仕切って居るようだ。
ブラウンさんはイツモの自己紹介
「私はブラウン商会の営業マンで、社長業務は啓子社長に任せて居ますから~」と言いながら、出かけるときは何時も二人連れが原則で、それが上手く行く秘訣の様だ。
ブラウンさんも啓子さんも、コンピューターや精密機器は詳しくないが、除隊時に友人から譲り受けた会社の営業権は、沖縄県全域だが九州から関西・東京にも取引先が存在し、堅実な会社に成長しつつある。
社員は少ないが地元の人とアメリカ人も前の会社から引き継いでいるので、キャリアは十分だ。
ミッシェルの器量の大きさ
譲渡まで会社のボスはブラウンさんの同期でケント・ミッシェルだ、階級も同じ大佐だったが、父親が病気になり軍を辞める気が有るなら引き継いでくれと言われ、あっさり引き受けたらしい。
一旦帰国して会社を引き継ぎ、取引先を回って東京の企業にも顔を出し、その時横田勤務のブラウンさんと会い食事しながら
「親父はなぜか士官学校が好きらしく、社員のほとんどがウエストポイントやコロラド・アナポリス出身で、大体キャプテンどまりでカーヌルやゼネラルは居ない様だ」
「そうか、成績が悪いと降格も有りそうだな」とブラウンが冗談を言った覚えがある。
「そこまで偏って居ないと思うが、俺が新米の社長ですと挨拶すると
【イエッサー カーヌル】と返す奴が居たので見ると、千歳に配属され除隊して帰国したのが何故かうちの会社で拾ったようなんだ」
「そうだ任意除隊者は、名誉除隊証書かなんかが有って名簿が有るらしいよ」とブラウンが本部で聞いた事を話す。
「うちの親父もコロラド出だから、機関紙かなんか送って来ているのかな」とケント社長が笑って居た。
「そんな関係で、通信設備や衛星電話など民間で出来る精密機器は殆ど納入できる会社になって居たよ、親父が造ったネットワークと地盤が出来て居る会社だから、いまは新入社員で勉強中だよ」と気楽に話した。
「その内、沖縄の支店の関係で知り合いの会社が有ったから、売り込みに行くよ」と半年もしない内に地元の会社と取引が始まったようだ。
ブラウンさんは、階級が上がり少将になったが
「若しブラウンが除隊する気に成ったら、真っ先に電話を呉れよ」と念を押し帰った。
あの時、ケントはブラウンさんの胸の内を読んで居たのか、2年ほどしてそれが現実になり「除隊して日本で暮らす決意をしたよ」と気軽に伝えた。
ケントはその時電話では何も言わず、一週間くらいして沖縄に飛んで来た。
沖縄に造った支店の事務所は社員も10名近く勤務して居るが、突然の来沖でブラウンさんも驚いた。
ケントの会社は、日本以外の諸外国に5か所の支店があり、手が回らずブラウンさんの意向も聞かず本国を出る前に、譲渡の書類を用意しブラウンさんに日本国内の取引一切を任せる気で、顧問弁護士と二人で乗り込んできた。
会社は無償譲渡だった
最初は、日本の支店長を請けて呉れと言って居たが、サインする段階で書類を見ると全てブラウン社長となっており、『譲渡』(give)と書いてあり、『任命』(appointment)は一言も書いて居なかった。
ケントは、経済的負担を一切掛けずに会社を継続運営するため、日本の支店長を任せて居たアメリカ人にブラウンさんが軌道に乗るまで、サポートする代わりに、彼の希望を受けていた。
支店長(サム・ヘンダ―スン)は空軍士官だったが日本女性と結婚し、除隊してケントの会社に就職、電子機器に強い彼は丁度45歳で(50歳で退職して、日本人の奥さんと子供たちと静岡に住みたいので、5年間でメジャー・ゼネラルをゼネラルにします)とブラウンさんが社長になる事了承し、研修がかりを引き受けたようだ。
(サムは、ブラウンさんと同じ思考の日本が好きで、奥さんは結婚はするがアメリカで暮らすなら、結婚はしない)と宣言して居たので、約束を守る気構えだ。
ケントは約束は5年だが、3年目に静岡の富士山が見える海の傍に200坪の土地に和洋折衷の住宅をプレゼントしていた。
これには、ケントは条件を付けたくないが、ブラウンの永久顧問の資格を受けて呉れと頼み込み、住宅や日本在住中の経費をケントの本社で持つことを書類にして居た。
それだけ信頼し、人格に惚れ込んでいた様だ。
サムが1年に3回くらいブラウン商会に顔を出して、遊んで行き啓子さんとは業務の遂行を丁寧に聞いている様だ。
ブラウンさんは、ケントが糸を引いているのを承知して居るが、深く関わらず沖縄や福岡などでゴルフやスキューバなどを付き合う。
ブラウンさんが知らないが、実務を研修中も誠実で【企業は利益が無ければ消えて仕舞う】ので、その辺はブラウンさんより啓子さんにノウハウを伝授したようだ。
そんな経過でブラウンさんは通常の社員より短期間に実務を習得、何を聞かれても即答できるようになって居た。
そこには、啓子さんのパワーと語学(英・仏・独)と、父親の人格が影響して居た。
県内は云うに及ばず九州全域での信望が厚く、有効に作用して居る。
会社の業務で出かける場合は、必ず夫婦で行動することを原則としているが、県内でも他府県でも、ブラウンは商品や機器の設定などの説明をして、続いて啓子さんがスケジュールとか納入時期、見積もりを設定する。
外国人のブラウンさんが、丁寧な日本語で質問にも的確に応え、啓子さんが外国製品なので英語やドイツ語なども正確に訳して伝える。
時には、父親の空手の話なども聞かれるが、道場で育っているので空手にも薫陶しており卒なく話が通じる。
社長夫妻が不在でも、業務はスムーズに遂行して居る。日に一回位電話が入るが、いつも話は丁寧に聞いているが「OK」の一言で、特に指示はしない様だ。
今は、サムの後任として沖縄出身の30代の男性社員を育成中で、啓子さんの従弟で東京の外資系の貿易会社に12年勤務し、田舎に戻りたい意向を聞いてサムが直々に面接してリクルートした人材だった。
サムの友人が、その会社の上司で在籍し、サムが【静岡に家が建ったことを知らして引っ越ししたら遊びに来い】と誘った電話で知った情報だった。
サムは、上司であるブラウンには伝えず上京したいと言うので、仕事の事だろうと深く聞かずに送った経過が有った。
ブラウンにはには口を出せるスキルも無かったので任せていたが、戻って社員採用の面接だったことを知り驚いた。
幹部社員は従弟だった
戻って履歴書を見せられた啓子さんも飛び上がる程驚き、健一君が沖縄に帰りたい希望が有ることを知り、ブラウンさんに従弟の話を聴かせる。
健一くんも、親戚の啓子さんが会社の副社長をやって居ることは知らず、サムと面接していた様だ、サムも名護健一君が啓子さんの従弟とは知る訳もなく偶然が重なっただけの話だ。
東京のその会社は、主に機械類の貿易会社で、取引はアメリカが多く業務にも会社にも不満が無いが、沖縄に戻りたい願望が強く成った様だ。
ブラウン商会が有ることも知る由もなく、漠然と九州地方に戻りたい気持ち様だ。
「名護健一さですか?私沖縄のブラウン商会の名護啓子と申します」と採用電話を啓子さんに任せたサムは、傍らでニヤニヤしながら聞いている。
「えっ名護啓子さんって、叔母さんですか?」と声がひっくり返った声で返事した。
啓子さんはサムに受話器を渡し、サムが偶然の話を英語と日本語で話し採用を伝えた。
また啓子さんに代わり
「健ちゃんは東京の貿易商社に勤めて居ることは知って居たが、本当に戻りたいの?」
「はいっ昨日お会いしたサムさんにも云われました、沖縄では東京の半分しか払えないよと言われました、又うちのマークさんは【今はロット商売だが、今度は小売り商売になるので、充実感が違うよ】と念を押されましたが、是非チャレンジしたいです」と健一君の気持ちは変わらず、今はチーフとして仕切って居る。
午後の日差しを受けた共用空港は、今日も温かく二人を迎える(^^♪