武道場のきずな(榊原さんの回想ー2台湾から上海へ)
ご両親のお招き
チェンユーのご両親は、お二人とも初対面ながら親しみ易く、奥様が紅茶を淹れ
「疲れたでしょう、どうぞ」と勧める。
紅茶や中華菓子に、ケーキも用意してあって榊原さんが誘いにのることを想定して居た様だ。
お父さんのリュウ―・キエンさんは、話したくて省がない風で、話始める。
日本の大学に留学、奥さんも中国から同じ大学に留学して居て、中国語が話せるので意気投合して付き合っていた。
卒業後、父の会社を継ごうと考えて居たが、本国の政治情勢が不安で平穏な日本の会社を選択、就職を打診すると、3か国の言葉に堪能で柔和な人柄が好感を得られ、即内定が決まる。
ご両親は日本へ留学して居た
未だ結婚して居なかったが、ション・クーリさんに打ち明けると、こちらも悩んでいたようで、東京で就職先を選択し2か所で内定を貰っていた。
大学近くの自由が丘にアパートを借り、結婚を前提に新しい生活を始めた。
上海の親に経緯を話すと(若いうちは修行になるので日本での就職を了諾)一応本国に帰って、結婚の報告をして親戚筋にも紹介され、晴れて新婚家庭がスタートした。
10年ぐらいして(そろそろ帰ってこないか)と電話が入り、未だ半端だよと言い断った。その時は、会社でも幹部になり役職に就いていたので、決心出来ないかった。
二人子供も授かり、奥さんは退職して日吉に家を建て、家族で話し合い本国には帰らずに永住する事に決めた。
長男が大学2年生で、長女のチェンユーは高校を卒業、留学を準備中だった時、上海の父親から
「帰って継いでくれないか?」と哀願するような声で、帰国を乞う。
最初は(会社も10年以上残って居るし子供たちも学業が半端なので)と断って居たが、何か違う事情が有りそうな気配が滲んでいる。
家族と相談し、一度様子を見ることにし、日本の5連休の休日を利用して、家族で上海に帰ってみた。
父親の車で、会社や工場兼倉庫をを見たが、事情が分からなかった。
運転手が居るので、話辛いらしく上海の親たちと食事をしながら、詳細を聞いてみる。
両親も老齢期で気弱になって来た時(後継に考えて居た甥の専務が工場在庫を勝手に売り捌き、自分の口座に振り込ませて横領して居た事が分かり、やっと首にして縁を切った処だ)と言うことだった。
リュウ―お父さんも知っている従弟が、犯罪を犯して居たとは意外だが、父は会社を閉じようと考えたが、社員や関係先に迷惑を掛けたくないので、継続を考えチェンユーたちには迷惑な話だが、電話で懇願を続けていた様だ。
横浜から来た一家も、何て言ったら好いのかわからず、お爺さんの顔を見ながら声も出せなかった。
上海の会社は、地元の海産物の加工品の半製品を仕入れ、仕分け梱包・保存して国内外に卸販売する商社で、社員も工場も含めて50名くらいで、安定した操業だが甥の不祥事で気落ちしたの大きい原因の様だ。
その夜は、話を聞くだけにして翌日お爺さん夫婦と横浜の4人で話を再開、父キエンの退職の問題と子供たちの進学・転校の問題を検討、父は昨夜会社の幹部に事情を説明、内諾を得たようだ。
兄長男の秀雄くんは、大学をそのまま継続し卒業後に上海に移住しても良いと、チェンユーは、予定通り留学し横浜か上海に移住するか、今は決められないと言った。
お父さんの一席
お母さんが目元をふきながら拍手する、榊原さんも軽く拍手。
リュー・キエンお父さんが、話し終えホットした顔で紅茶を含む、榊原さんも小一時間の講話を聴き、ドラマの様な(リュー一家の生い立ち)に自分も立ち会って居るんだなぁと感動気味だ。
榊原さんが
「いやぁ実にドラマチックなお話で、お聞かせいただき有難うご会います」と頭を下げる。
「いやぁ~榊原さんには無駄な話でしたね、前途洋々たる貴重な旅の途中で、老爺の愚痴にお付き合い頂き有難うございます」と、礼をするリューお父さんだ。
「台湾に赴任した梅木さんには、大雑把なところを話しましてが、今は会社も倅に任せて誰かと話したくてウズウズして居たのです、日本語で自分の生い立ちを話すことが、有意義なんです」と笑う。
「そうなんです、中国語も母国語ですが日本の人に日本語で話すことが、とても楽しいと言うか、気持ちが落ち着くのですよ」と奥様も同じ心境のようだ。
榊原さんが
「わたしも事情が有って、休学しました 歴史的にも身近なアジアを体験したくて、台湾から上海に来ました。今 お話を伺って、凄く親近感が湧き私は北京とか西安とか西の方にも関心が有るのですが、柔道・空手を習っていますので少林寺で、拳法を稽古したい等と、思いました。取り敢えず大陸を旅するなら語学を磨きなさいと、梅木さんの師匠のリュウ・チェンユーさんをご紹介頂き、上海の方言も指導して頂いています」
「そうですか、娘の指導がお役に立てばいいですね、柔道は何年ぐらいですか?」
「はいっ 高校時代から5年くらい続けています」
「そうですか、それじゃぁ当然審査を受けられたでしょう」と興味ありそうだ。
「一応大学に進級して、柔道と空手も3段になりました」
「それじゃ2年生で3段なら、卒業するまで楽しみですね」と言いながら奥さんを見る
「私はだめですよ」と言いながら
「私も、この人も柔道を遣って居たんですよ」とキエンお父さんが笑いながら
「東京の大学時代に、日本語があまり話せず太極拳の経験は有りましたが、体を動かす柔道で気分を変えよう入門しました。当時として珍しく女性が入部したの評判になりましたが、同じ境遇だったので話が出来、付き合うようになったんです」と楽しそうに話す。
「そうでしたか、私の大先輩なんだ、実は休学の事情は空手でして、級友と食事をして街をぶらぶら駅に向っていると、酒に酔った学生が、連れの女子学生に纏わり突き仲裁にしようとして、間に入るときなり殴られ、瞬間的に平手で顎を押し上げ、転倒した相手が頭を打ち再起不能になったようです」
「それは、残念でしたね有段者は練習や試合以外で振舞うと、厳しい沙汰が出ますね」
「そうなんです、別に狙った分けではなく「掌底打ち」を練習でもやって居ませんが、襟首を掴もうと手を広げて前に出した所に酔ってな顔を突き出したので、打っちゃったんです、未熟でしたね」
「事情聴取で、空手を遣っていることを話すと「有段者であっても正当防衛に当たる」と言うことで処罰は無いのですが、大学の教務課でも(気にしなくて好いから、戻ってこい)と言ってくれますが、居心地が悪く休んで居ました。田舎の親たちは外国にでも行って頭を冷やしてこい、旅費まで送ってくれたのでここに居るんです」と割り切れた気持ちをサラケ出して居る。
こうして、打ち解けたリュー一家に顔を出して3日目に授業が終わり帰り支度をしていると、キエンお父さんが顔を出し
「ところで榊原さんは、お宿は何処にとって居ますか?」と聞いてきた。
「少し高いですが、二流のホテルです」と答えると
「うちに通うだけで、ホテル住まいは効率が悪いですね、いまは体が調子悪いとこが有りますか?」と聞くので何かを世話する積りかと感じたが
「特に調子の悪い所は有りません」と言う。