まさる先生のブログ

新たな武道の境地を目指します

武道場のきずな(榊原さんの回想ー6大陸を南下~長沙の街へ)

心残りだが

当初は、3週間程度の語学研修が2カ月半にお世話になった。

居心地が良く、上海語も地元のネイティブな人達とも十分会話が出来るようになった。

 

方言を学びながら、子供たちと身体をぶっつけ合い、あんうんの呼吸で過ごす時間はチェンユー講師のレクチャーと相まって、自然な形で言葉になる。まだ他の方言を体験して居ないので、不安を感じるがチェンユーさんは


「榊原さんさんは、広東語を最初に習っているので、応用がきくし英語もマスターして居るので、漢字で覚えるより理解度が違うのです」と、話して居た。

 

ワン館長の復帰は決まらないが、この間の神田さんの練習い子供たちと信頼感が良くなり、榊原さんが居なくとも、来春神田さんが帰京するまで好い関係が出来た。神田さんの後輩が道場を探していたので勧誘し、バイト代を払う条件で面倒を見てくれることが決まった。

リュー名誉館長は、娘のチェンユーさんが独身なので期待したらしいが(お父さんが悩む話でもないですよ)と軽くアシラわれたようで、元気がない。

 

榊原さんが、カンフーの発祥の地へ回りたいと言うと

「ここからだと結構距離が有り、見学だけなら回り道になりますよ!」とリューさんも神田さんも、賛成しなかった。

 

チェンユーさんとカンフーを話す

「私もカンフーを習っていますが、少林寺は短期の入門が難しいので、地方の派生した道場で柔道も段位を取得して居ます。柔道と空手を比較なさりたいでしょうが~カンフーは必殺拳で破壊的攻撃ですから、「礼」を重んじる日本の武道と同レベルに考えない方が良いと思います。私も父の道場では、誰も居ないときに汗を流しますが、他人にお見せする程のモノではないです。襲われたら一撃で倒すことは出来ます」と微笑む。

 

「怖いですね、チェンユーさんがカンフーを繰り出す時は、必殺ですね(^^♪」

「そんな事は在りませんよ、私は華奢な体で腕力が弱いので、密かに技を鍛錬して来ましたが、未だ人前で繰り出すことは在りません。習ったのはここから南の方の深圳の大学生のころ、下宿を探していて八極拳の道場の宿舎が空いて居る話をを聞き、お世話になりました。そこから4年間通学しながら部屋に帰ると道場の掃除や、隅の方で真似事をして居たのを(リューさんも一緒にお稽古しましょう)と言われて教えて頂いたのが始めです。大学でも部に入らず、日本語教室に所属して居ました」

 

 「そうでしたか?今の僕の立場と似ていますね、言葉を習いながら柔道場に寝泊まりしバイト代まで頂いて、台湾の梅木さんにお礼をしなくちゃ~」と笑う。

 

「私は政治のことには拘らないのですが、梅木さんは急に(お役人を辞めて台湾に行きます)と突然移動が有りました、広東語のコースは終わって居たので、不自由しないでしょう。榊原さんがお出でになった時は驚きましたよ、雰囲気が似ていて梅木さんの紹介と聞き、二度びっくりでした」と遠くを見るような眼をしている。

”思い出しているのだろう~か

 

上海には、日系の会社が多く貿易だけでなく製造業や自動車関係の会社も多く、神田さんが邦人会の様なクラブに声を掛けてくれた。リューさんが日本語が達者で町道場的な雰囲気が好評で、当番制の様に有段者が顔を出してくれて子供たちの面倒を見てくれる体制が出来上がっていた。

 短期の師範代に送別会のプレゼン

榊原さんが離れる日には「サッキーの送別会」的な食事会をセットして呉れて、道場にテーブルを並べ中華のコックさんが、ワンさんのキッチンで料理して居る様だ。

リューさんは地元の有志だが、榊原さんへの気持ちが盛大な催しものになった。

「夜行列車で香港の手前の深圳に行きます」と言うと。

「少しだけ回り道する気はありますか?」とリューさんが聞く

「特別計画は無いのですが、香港とマカオを見学したいと思って居るんです」と言うと「それなら明日の朝(何時でした神田さん?)」と言うと神田さんが、少し大きめの封筒をリューさんに渡す。

「上海虹橋駅 朝8時00分発で昼頃長沙南駅に着く予定です」と神田さんが澄ました顔で言う。

 

「あっそうかランチに丁度好いか」と言いながら封筒を開け

「これは私の気持ちです、神田さんにお使いを頼みましたが、明日の晩は長沙に一泊なさって広州も深圳も2~3時間で行けます」

「明日は長沙を車で案内してくれる人が居ますので、心配せず任せて下さい」

 

リューさんの奥さんの弟が、長沙で会社を経営して居て今ははお子さんが継ぎ、暇な毎日ので快諾し、行きつけのホテルもリザーブした様だ。

榊原さんの顔写真をメールに添付して送ったので、駅で間違いなく遭遇する手配は完璧だと自慢して居る。

 

神田さんには偶然の出会いから、懇切にも道場の師範代りも手配して頂き恐縮しながら挨拶すると
「実は、榊原さんを知っている友人が東京に居まして、自由が丘の武勇伝も知っていたので、何か手伝えないか考えて居ましたよ」と最近の情報を話して呉れた。

「その人は東工大の方ですか?」と聞くと、「高校時代から柔道で一緒だった、田部さんと言う入社したばかりですが、本社で同じ仕事をしているので柔道を始めた話でこの道場のことを話すと(卒業前に休学して旅に出た友人が居る)と言う話で、榊原さんが話題になったのですよ」

 

「えっ 田部が神田さんの会社に入ったんですか?」と突然声が大きくなって皆が注目!「御免なさい、大きな声を出して申し訳ありません」と謝りながら、思わず眼がしらが熱くなり下を向くと、人の気配を感じ右手にハンカチを渡されていた。

 

チェンユーさんが自分のハンカチを出して呉れた様だ。会釈しながら受け取り涙を拭く。子供たちも参加して居るのでアンナさんが

「先生泣いて居ないで、どんなことが有ったのか教えてくれませんか?」と中国語で問い掛けてくる。

 

自由が丘のトラブルから、アジアの旅に出た経緯を簡単に話して(心温まる送別の宴)に感謝の言葉を添えて挨拶する。

外が暗くなったので、子供たちは大人が付き添って送りながら散会した。

 

翌朝、リューさんが自分の車で上海虹橋駅に送って、榊原さんに感謝の意を言いながハッグし、構内の人たちが珍しそうに眺めている。

 

列車は高級な新幹線で、気持ち好いモーニングサービスで寛ぎ、揚子江沿いの歴史を感じさせる佇まいの長沙の街に着いた。改札口に中老の紳士が、笑顔で片手に写真を持ちながら手を挙げている。

 

リューさんの奥さんクーリの弟さんだ。少しは日本語を話すが榊原さんが中国で返事をすると「やはり広東語が良いですね、チェンユーの生徒さんと聞きましたがお上手ですね」と持ち上げる。

 

「国で広東語を教わりましたが、チェンユーさんに徹底的に修正され、何とかお話が出来る程度になりました」と会釈する。ションさんもリューさんと同業の貿易会社の関連で日本と取引が有ったようだ。

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2400年の歴史を感じさせない近代的な長沙の街並み(^^♪

駐車場まで歩きながら「何か食べたいものが有りますか?」と聞くので

「極端に辛いのは無理ですが、中国の食事は美味しいですから、大丈夫です」と言うと「じゃ軽いランチにしますかね」と黒のベンツのドアを開ける。

 

行きつけのお店らしいが、大きな3階建ての全部が同じお店らしく、ゆったりした雰囲気で案内係が、どうぞと言いながら2階の角部屋に

「お連れ様をご案内してきました」と声を掛ける。榊原さんがションさんの顔を居ると軽く頷き「いやぁ家族が榊原さんにお会いしたいと言うので、ご迷惑でしようがご一緒してください」と入る。