まさる先生のブログ

新たな武道の境地を目指します

武道場のきずな(榊原さんの回想ー7中国の歴史を堪能)

 ションさんの家族は、兄弟・親族の関係が良く上海の家族の話を自慢げに話す、榊原さん旅もリューさんの心使いで、ホテルを引き払い道場に宿泊、語学研修が柔道の指導で


上海滞在が長くなったことを話す。

「兄たち家族は、世話好きで会社も好調、私たちもバックアップして貰い、ようやく軌道に乗って世代交代もスムーズに済んだところです」と嬉しそうだ。

 

 ションさん家族とランチをして、長沙の街をドライブしながら歴史のある寺院や歴史館を回る。メィンは現代的に進化して居る、長沙の発展ぶりを披露したい様だった。

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国立湖南大学の礎は「嶽麓書院の甍」がその歴史を今に伝えて居ますね(^^♪


確かに歴史ある古の建造物は、当時の繁栄と組織力を伺わせるモノが歴然と存在していた。長い歴史の中で宗教的に危うい時期も考えられるが、管理統制が一貫して居た様だ。

 

一つ一つ建物に入ることは無理なので、ゆったりした公園的な敷地のサロン風の喫茶店でお茶をして

「陽が有るうちにチェックインしましょう」とション・ケンキさんが言い

「ホテルは適当な所にお願いします」と言うと榊原さん

 

「昨日のうちにリザーブしましたから、大丈夫です!」と東京でも一流と言われる外国の名のあるホテルの前に止まる。

 

車はボーイに任せ、ションさんたち家族も一緒にチェックする。

ロビーで一休みし冷たい飲み物で喉を潤し、10分くらいして品の好い副支配人が
「ご案内します」とエレベーターで屋上まで登る。

 

何だろうと付いて行くと、眺望がすばらしいくホテルの自慢の屋上サロンで丁寧に説明してくれる、勿論標準の中国語で榊原さんにも理解できる。

 

見晴らしの好い屋上のすぐ下に三部屋がキープされて居て、夕暮れには長男家族も合流して、部屋の隣の中くらいの食堂で、ションさん一家が榊原さんを接待してくれた。

 

ションさんの孫たちが、榊原さんの日本人で柔道の師範と言うことに興味があるらしく小学上級の長男が

「榊原さんは学生と聞いたのですが、何で長い間旅行して居るんですか?」と標準的な日本語で質問が来た。

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湖南省周辺の平坦な地形を揚子江が流れ、その支流の湘江に世界一の内陸砂州が出現、歴史的にも長い年月でん流れ着いた土砂が積り、人が住める地面が出来上がったようですね(^^♪

長沙は3000年も呼び名が変らず永劫に使われることは、言い換えられないものが歴史が有るのですね!長江と湘江のパワーは凄いですね!

「日本語が綺麗ですね」と中国語で返すと、皆も驚いて一斉に興味を示す視線を感じる、仕方が無いので(街で空手の技を使って怪我をさした)ことが誤解を招き、大学を休学して反省の旅行をしている事を説明をする。

 

「私の中国語は、上海のチェンユーさんから教わった部分が多いですが、学校でも習っていました」

「私の日本語は、上海の親戚がが日本の国が好きで、家のみんなも日本の国が好きです、自然に日本語教室に行くようになりました」と長男のション・ミンセイ君が説明。

 

「私は柔道家としては未熟で、街で酔った相手に一度も使って居ない技で怪我を負わせ、チョット居辛くなって反省の意味で旅に出、その途中なんです」

 

「えっつ 兄たちは温厚で優しい青年と言い今日もご一緒して、凄く気持ちよく対応して頂いておりますから、乱暴な人には見えないのですがぁ~」とションさんが当惑する

 

「えぇ~私も乱暴な人間だとは思いませんが、武道を習得したモノは街で殴られても、素人には決して手を出してはいけないと言う教えが有るんです」

 

「それは不合理ですね」と長男のケイシュウさんが不満そうだ。

 「私は、男女4人で食事の帰りでしたが、不良学生が道端でふざけていたので少し離れました。でも連れの女性の手を掴んだので仲裁の積りで間に入ったが、いきなり顔を殴られ払った平手が顎に入りひっくり返って頭を打ったようです、実は私は柔道の他に空手も有段者で、警察では正当防衛だから特別な処罰は無いと言われましたが、周りの目が気になり休学して旅に出ました」

 「そうでしたか、この後の予定は何方ですか?」とお父さんのケンキさんが、聞く。

「はい、チェンユー先生のの母校が深圳大学と聞いたので、上海から深圳に行こうと思って居ました。上海のリューさんが(長沙は上海と違う歴的な街だから、是非見て下さい)と昨夜チケットまで用意して頂きました、その先は現地に行ってから決めようと考えて居ます」

 

「深圳ならお隣さんみたいな感じですから、明日は午前中に着きますね、知り合いも居ますが会社関係だからな、何か迷ったらこっちへ電話してください」と名刺を渡してくれた。

 「有難うございます、上海も長沙でも現地の皆さんにお世話になりました、今度は自分で旅行をしてみようと思います」

 

「いやぁ~榊原さんは我々中国の事情もくみ取り、上海の子供たちにも丁寧に柔道を教え、近所の人たちとも分け隔てなくお付き合いして呉れたようで、兄も感激していました(この先何年でも居て貰いたかったが、若くて目的が有る人なので最後までお世話するのが当たり前だ)と言っていました」

 

「有難いお言葉です、私は何気なく中国語を習い初め、自分の未熟さで傷害事故を起こしたのが切っ掛けで台湾から上海に渡りましたが、中国の皆さんの心情に感謝します。深圳から香港経由で戻ると思いますが、帰ったら(中国の大らかさ)をアピールします」

 孫のミンセイくんが

「僕も柔道を習いたいなぁ」と言い出し、ホテル最上階の食堂は遅くまで賑やかに盛り上がっていた。

 

翌朝、モーニングを終わり清算しようとカウンターによると

「ション社長さんが済ませてロビーに居られます」と指さす。気付いた様で立ち上がり手を振って居る。

 

近寄って「すみません、ここは私は払いますから教えて下さい」と言うと

「招待したのはこちらですから、気に為さらずに此れからの旅を楽しんでください、まだ時間が有りますが、深圳までのチケットも有りますから、コーヒーを頂きましょう」とウエーターに合図し、小さな封筒を差し出す。

 

ションさんは、深圳までの新幹線の指定席をリザーブしてきた様だ、何から何まで如才なく手配りしてくれる。榊原さんは逆らわず、リュウ―・ション兄弟にすべて任せて奢ってもらう事にした。